10/11/19

近刊情報の開示はなぜ必要なのか?

カテゴリー: - okano @ 16:32:38

出版ニュース9月上旬号に載ったブックメール代表岡野秀夫の投稿記事を転載いたします。

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1.紙の本の特性を生かせない問題点

右肩下がりの出版界の状況を変えるにはどうしたらいいのか?現在、電子書籍の議論が賑やかだが、紙の書籍の再生はないのか。あまりにも当たり前のことで恐縮だが、私は紙の本、リアル書店の再生には、やはり書店店頭の品揃えを良くするしかないと思っている。

時代が変わっても、品揃えが書店の売上に直結し、逆に、無駄な本を置かないことが、返品率の減少にもつながる。

5年前にブックメール倶楽部という新刊紹介のサイトを立ちあげた。出版社の近刊情報開示が良い品揃えの第1歩と考えたからだ。そして、今年の6月からは、紀伊國屋書店のPubLine ASSIST という新サービスの開始にあたり、近刊書誌情報を取次、書協、他の出版関連の会社に送付するお手伝いをさせていただいている。多くの書店の品揃えに少しでも役に立てば本望だ。

5年前とは隔世の感で、出版社の近刊情報開示の機運が高まっている。しかし、それをどのように実際の売上結びつけるかが業界再生の試金石になる。今がその正念場だ。個別的な工夫は後で述べるが、その前に、まず、出版界全体の仕組みで改善すべき点を考えてみたい。

近刊情報の開示ということで連想されるのは、委託制度の廃止、責任販売のような制度への移行という方向性かもしれない。しかし、私はそのような劇的な改革の必要性は低いと思う。責任販売制は、プライベートブランドと同じで、一部の本では有効だ。しかし、メインの書籍は委託や返品条件としたほうが、書店は思い切った品揃えができる。スーパーも、プライベートブランドだけでは成り立たない。現在の委託制度の運用面を少し変えるだけで、売上を増加させ、返品率を減少させることが可能だと思う。結論を先に言うと、委託制度であっても、書店の品揃えの意思を反映させる仕組みを作るべきと考えている。

新刊の刊行点数が増加し、新刊の陳列サイクルが短くなっている。しかし、指定配本という制度があるにせよ、多くの場合、新刊配本は、書店の要望を反映していない。ことばの通り、出版社が取次を通じ書店に本を配っているだけのシステムになってしまっている。委託品とは言え、書店は仕入力の発揮のしようがない。そのため、配りすぎ、返品率の上昇、陳列のサイクルの短縮という悪循環に陥っている。そして、このことは書籍企画にも悪影響を与えている。

分野にもよるが、一時的な瞬発力を狙ったり、短期間の流行を追う企画が増えている。これはテレビ、インターネットなどの速報性を重視するメディアの得意分野で、本というメディアにはマッチしない。このような企画自体を全面否定はしないが、主流になっては、本末転倒だと思う。

忙しい現代人が、早く最新の情報を求めているための傾向と誤解されがちだが、このような企画が増えているのは、新刊配本制度の機能不全という出版界内部の問題に起因している私は見ている。なぜなら、早く情報を得るだけならネットが一番早く、本に求められているのはもっと深い情報や知識だからだ。本のメディアとしての特性をもう一度考え直すことが、書籍の再生、生き残りの第1歩で、そのためには、同時に流通制度の改善も必要だと私は思っている。

2.書店の意思を反映した新刊配本へ

さて、新刊配本の悪循環が起こる根本的理由は何かというと簡単で、新刊の作りすぎだ。何故、作りすぎるかというと、新刊サイクルが短くなったしまったためで、これでは鶏が先か卵が先かの堂々巡りになる。そこで、角度を変えて、作りすぎた書籍がどのように配本されているかを見てみよう。毎日、取次仕入部では、取次担当者が端末の画面を見ながら、出版社の取次営業と配本部数を決定していく。指定配本もあるだろうが、多くの場合、書店の意思を反映しない形で配本部数が決まる。書店の意思を反映させないのは、書店に仕入能力がないという思い込みがあるからだ。また、リスクを取るのは出版社なのだから、部数決定権は出版社が持つべきという考えも根底にある。書店の意思を反映させる代わりに、配本数決定に重要な役割を果たしているのが、POSを中心とした様々なデータだ。蛇足だが、この種のデータは、出版社よりも取次のほうが圧倒的に持っており、その情報量の差が、出版社と取次の力関係にも影響を与え、取次主導の配本というのが多くの出版社の実感だと思う。

データの有効性を否定するつもりはない。しかし、それを根拠に決定した配本が、結果的におびただしい返品の山を作り出している。データに頼りすぎる今のやり方に誤謬はないのだろうか。データに基づく配本で、配本数を絞ることはできるが、データはそもそも過去のものなので、それを活用したところで新刊売上を伸ばすことは難しい。話はそれるが、自動発注や一定期間売れなかった在庫を一斉返品する在庫管理法も、同じ問題点を抱えていると思う。データに頼りすぎる弊害も大きいのではないか。

そして、現在の仕組みが機能しないなら、いっそのこと、書店の意思、意欲を汲み取った配本システムに変えたらどうだろう。その方が、書店の意欲も高まり、売上も伸びるのではないか。読者の一番近くにいるのは書店だ。ただ、そうなると、書店がリスクを負って、書籍を仕入れるべきという意見もでてくる。もっともだが、現実的ではない。リスクを負い仕入れるとなると、書店は極端に慎重になる。責任販売の結果報告などを見ているとそれは明白だ。書店はリスクを取りたがらず、財務的にもリスクをとれない。むしろ、出版社、取次が、書店の不良在庫リスクを取り除き、思い通りの品揃えができる環境を整えたほうが、結果的に、売上の増加、返品率の低下につながるのではないだろうか。

新刊配本は、まずデータありきではなく、書店が事前の近刊書誌データに基づき配本依頼し、出版社は、なるべくその希望に沿った配本をする。

「なるべく」と書いたのは、新刊配本のリスクは出版社が取るわけで、最終的な配本部数の決定権は、出版社が持つという意味だ。売上が見込める本などは、売り逃しを恐れる書店の配本希望が殺到する。そのまま配本したら大変だ。配本希望を減数するのは、出版社の自己防衛上ありだと思う。しかし、多くの場合、むしろ、出版社への配本依頼は出版社が期待より少なくなるはずだ。そもそも、新刊点数が多すぎるのだから当然だ。最後に詳しく述べるが、出版社は、近刊の書誌情報の積極的な開示をせまられるようになると思う。しかし、近刊情報の開示をすれば、その情報は、ネットなどを通じて、直接、読者にも伝わり、出版界全体の販売促進につながる。このような好循環ができる可能性が高い。

多少の混乱はあるかもしれないが、このようなやり方を一度やってみる価値はある。そして、この方法を機能させる方法として、売上、返品率に応じてインセイティブをつけるという方法があると思う。こうすれば、良い仕入をした書店の経営は良くなり、仕入力の競争が書店間で行われるようになる。インセイティブの原資は売上の増加と返品率低下で賄えるはずだ。一つのアイディアとして、大いに議論をしていただきたい。ただし、そのためには、大前提として、近刊情報開示ということが必要になる。近刊情報開示について、先ほど今が正念場と申し上げたのはそのためだ。

残念なことだが、もともと多くの出版社がそれほど近刊情報の開示に熱心ではない。取次の窓口に新刊を持っていきさえすれば、取次は配本してくれるということに慣れてしまっているからだ。また、その重要性はわかっていても、行動に移すだけのゆとりがないというところも多い。理屈はわかるけれど、体が動かないという感じだ。このような出版社が多い中、多少、機運が高まったからと言って、近刊情報の開示をしても目に見えた効果がなければ、近刊情報開示をやめてしまう出版社が多いと思う。

3.ブックメール倶楽部と紀伊國屋書店 PubLine ASSIST

近刊情報が網羅的に開示されていなこと自体おかしなことであるが、現状がそうである以上、出版社の近刊開示を促進するための方策が必要で、そのためには、出版社が新刊の登録をしたくなるような仕組みを新刊登録システムに組み込むことが一番有効だ。具体的な仕組みについて、ブックメール倶楽部と紀伊國屋書店のPubLine ASSISTを例に示したい。

ブックメール倶楽部の特徴の1つは、近刊情報を書協、取次、先方の指定する形式で転送するシステムを開発した点。出版業務合理化のメリットは大きい。データの送付先との連絡を密にしており、登録データは確実に送付先へ届く。

また、言語学出版社フォーラムや大学英語教科書協会などの出版団体のサイトと連携をして、登録された書籍の注目度アップを図ったり、団体発行の図書目録との連携も行っている。書籍のジャンル分けでは、従来の基準に比べより専門的にして、アカデミックなユーザーのサイトへの呼び込み、また、書店注文システムで、新刊配本依頼以外にも、細かくジャンル分けした登録書籍の中から特定分野の書籍の注文をすることができる。

以上のようなことが動機付けとなり、現在、関連サイトからの参加も含め、約70社が、ブックメール倶楽部から新刊登録を行っている。

紀伊國屋書店のPubLine ASSISTは、本年6月に始まったばかりで、まだ、日が浅い。しかし、多数の出版社が参加しているPubLine サービスの一環としてのスタートであったため、既に多くの出版社が近刊登録を開始している。

PubLine ASSIST の大きな特徴は、登録した新刊が予約注文など実際の売上に直接結びつく点と、出版社と紀伊國屋書店との双方向性をもったコミュニケーションツールとなっている点だ。

売上に結びつくという点では、紀伊國屋書店のネット書店であるBookWeb、紀伊國屋書店全65店舗、営業総本部(外商)の全国各営業部・営業所などで、予約注文が取れる点だ。指定配本も行える。

また、双方向コミュニケーションツールとしての例は、指定配本においても、―佝納卍鶲蕩紀伊國屋回答→出版社最終決定、という流れになる点。また、登録書籍の棚情報や広告宣伝、パブリシティーの情報を紀伊國屋書店にその本の書誌データと関連付けて流せる点だ。この情報は、紀伊國屋書店の現場の担当者まで伝わる仕組みになっており、その書籍の発注、POPの作成に至るまで連動している。また、会員出版社が、紀伊國屋書店の顧客に対して、登録書籍のプロモーションを行うことも可能だ。

このように紀伊國屋書店のPubLine ASSIST が持っている様々な機能は、近刊書誌情報登録の強力な動機付けになるのではないかと私は考えている。

4.近刊情報開示は誰のため、何のためにするのか?

さて、上記2例以外にも、近刊登録を促進する様々な試みが現在進行中で、水面下でも計画されているものと推測できる。このような積み重ねによって、近刊書誌情報開示が促進されるばかりでなく、多様な書誌情報がネット上などに蓄積され、書籍プロモーションの強力な武器にもなるはずだ。そして、多様な近刊書誌情報が集まることによって、はじめて本稿の前半で述べた書店の意向を反映した新刊配本のシステムへ移行するための準備が整う。

ここで重要なのは、近刊情報を使う側の実情にあった形で提供することだ。近刊情報は売上の増大や販売促進のために使われるわけだが、書籍自体が多様なようにその活用方法も様々だ。金太郎飴式の近刊情報提供ではなく、面倒でも希望する書店や取次の目的に合った形式での情報提供が重要だ。そうでないと、何のために近刊情報を提供したのかわからなくなってしまう。

さて、ここで、現在、日本出版インフラセンター(JPO)が進めている近刊情報集配信センター(仮称)構想についても言及しなくてはいけない。まず、この構想自体遅きに失していると思う。現在、既に受け手の形式通りに近刊書誌データを登録できるシステムが複数稼動し、自然な形での近刊情報配信の流れができている。書店、取次は、自社が望むような形式で情報を受けとることができ、その流れはどんどん太くなっている。JPOはこのような流れを止めることなく、足りない部分の補完に徹すべきだ。たとえば、中小零細出版社や、中小零細書店側が利用しやすいシステムにして、必要最低限の新刊情報の発信や収集を担保するためのセンターというなら理解は得やすい。

しかし、現在までの動きは、逆に、大手出版社や大手ネット書店が主導しているような印象を与えてしまっている。また、JPOの動きを見ている人の中には、将来は近刊情報集配信センター(仮称)に近刊データが一元化されるというような誤った印象を持ってしまう人も多いと思う。仮称自体が誤解を与えてしまう可能性もある。JPOはこの辺の説明をきっちりとしていく必要がある。

もちろん、書店・取次の欲しがるデータがバラバラでは大変だということはわかる。それを統一したい気持ちはわかるが、繰り返しになるがその細かな差こそが重要なのだ。多様なニーズを統一するより、多様なニーズに合理的に応える工夫をすることが大切だと思う。

まずは、相手がどういう情報を求めているのか、ということに謙虚に耳を傾け、相手が利用しやすいデータを送る必要がある。近刊情報を送る目的は売上を上げることで、とりあえずデータは送りましたということではない。1箇所に統一した近刊情報データを流していればそれで十分という発想は間違っている。

書店と直取引をしているトランスビューの工藤氏は、書店へ提供する近刊情報の説明文などを書店によって変えているという。取次に頼らない直取引版元ならではの工夫である。このような姿勢を見習ってほしい。

これからは取次を介した新刊配本が思うようにできない時代になると思う。もう既にそうなりつつあるもかもしれない。新刊の飽和状態は、誰かがストップをかけざるを得ず、結局、取次がその役割を担うことになる。「そうは問屋が卸さない」ではなく、「そうは取次が配本しない」という時代になる。取次は配本を絞っても売上は落とさないと説明するが、結局、市場は縮小均衡に向かうだろう。データで配本を絞っても、書店に望む新刊は配本されるわけではない。これでは、売上げを上げるのは困難だ。このままの状況が続けば、業界は縮小均衡の負のスパイラルに陥る。

やはり、書店の仕入力に賭けてみること以外にこの負のスパイラルから抜け出す方法はないのではないだろうか。そうなると、新刊配本を取次に依存してきた出版社も、今後は積極的に近刊情報提供をせざるをえなくなる。近刊情報開示は、書店のためだけではなく出版社の利益にもなるのだ。

5.既刊本も含めた出版流通改革の議論を!

最後に既刊本の売り伸ばしについても少し触れたい。根本的には、常備寄託、長期、延勘、買切、注文品など同一商品で、様々な取引形態のある現在の複雑な出版流通を簡素化することが必要だ。今、根本的な議論は紙面の都合でできないが、新刊と同様、リスクが少ない形でないと、書店は思い切った品揃えができないということだけは言える。買切でも返品条件を付ければ、書店はリスクを回避し、品揃えをしやすくなる。既刊本でも、出版社は書店が良い品ぞろえができるように、このような形での協力をすべきだと思う。

前述したインセンティブを付ければ、書店は、リスクのないことに甘えることなく仕入能力を磨くだろう。結果として、売上げが増え、返品率が下がるという好循環ができるはずだ。現在の粗製乱造の新刊よりも、既刊本の方が本としてのポテンシャルが高いものが多いはずだ。品切れ本の重版も書店の仕入能力がつけば、もっと容易にできるだろう。

既刊本も含めた出版流通全体の改革案は、最後に駆け足で触れただけだが、本来は、既刊本も含めた出版流通全体を考えた上で、近刊情報の開示について考えるべきであったかもしれない。今回はできなかったが、拙稿がそのような議論のきっかけになってくれればと願っている。


07/11/2

憲法と表現の自由を考える出版人懇談会

カテゴリー: - okano @ 07:57:36

             文責:岡野秀夫

先日、「憲法と表現の自由を考える出版人懇談会」発足集会に出席した。このような大上段に構えた会に出席するのは、ちょっと気が引けたが、呼びかけ人の中に、知り合いが何人かいたので、ひょっとして自分にも少しは関係があるのかもと思い直し、出席することにした。

冒頭、筑摩書房の菊池明郎氏から、書籍出版社には表現の自由について、危機感のようなものはあまりないが、雑誌出版社の現場では、かなり脅威を感じるような出来事が起こっているようだ。今日はそのことを勉強したいという趣旨の発言があった。

出版社は日本に6000社あり、休眠しているところやほとんど出版物を刊行していない出版社を除き、定期的に新刊を刊行しているところだけでも3000社はあると言われている。 したがって、会社の規模、書籍中心か、雑誌中心などによって、出版社の存在のありようは多様だ。したがって、同じ出版界と言っても、言論の自由についての感じ方も様々で、他の出版社の全く違う立場の人たちの話を聞くのも確かに良い勉強だと思う。

最初に報告をしたのは、講談社『週間現代』編集長の加藤晴之氏。

最近、週刊誌の記事に対する損害賠償の請求額が、高騰している。週刊現代の場合、大きな訴訟だけでも、細木和子、日本相撲協会、JR東日本、小沢一郎、キャノンなどから、訴訟を起こされ、その総額は、正確には数えていないが、合計で30億円近くになるのでは、とのこと。以前に比べ、請求額が異常に高くなっているらしい。出版不況の中、高額の賠償請求が出版社に対する兵糧攻めのような形になっているようだ。また、奈良で起きた母子3人焼死事件を題材にした『僕はパパを殺すことに決めた』で、非公開とされる少年審判の供述調書を引用したことに関連し、奈良地検が少年の精神鑑定を行った精神科医を逮捕するという事件が起こったが、メディアを萎縮させるような逮捕劇は、権力の側が表現の自由に関しての介入に他ならないと、メディア側の主張をした。この件に関しては、日本ペンクラブや出版諸団体も抗議の声を上げている。この書籍自体にも問題はありそうだが、奈良地検のやり方は、露骨なメディアへの威嚇、介入という印象を受けた。

2番目の報告は、岩波書店『世界』編集長の岡本厚氏。

岩波書店の場合は、講談社のような高額訴訟はないが、政治的な訴訟が目立ってきた。その一例として、大江・岩波「沖縄戦集団自決」裁判とその背景を報告。岩波書店から刊行されている家永三郎氏(故人)の『太平洋戦争』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』という30年から40年前に刊行された本の内容(慶良間諸島への米軍上陸時に起きた集団自決(集団死))について、事実に反しており、名誉毀損にあたるということで、当時の戦隊長やその家族が、岩波書店及び大江健三郎氏に対して裁判を起こした。この裁判、実際は、提訴に消極的だった原告(90歳くらいの高齢のようです)を説得して行われた政治的な裁判のようで、岡本氏は、歴史的な事実の問題を裁判で争うやり方に疑問を呈していた。

3番目の報告は、青山学院大学名誉教授の清水英夫氏。

清水氏は、まず、今の日本の言論の自由度について、国際的な評価を「国境なき記者団」とフリーダムハウスの調査から指摘、前者の日本の自由度が世界で51番目(ちなみにアメリカは53番目)、また、後者は、AからFの5段階評価でBクラスとのこと。その理由として、タブーが多い点、マスメディアの集中などをあげた。タブーの一つの例として皇室報道を上げ、第三書館から刊行された『プリンセス・マサコ』について、朝日新聞をはじめ、新聞各紙が広告の掲載を拒否したことについて問題点を指摘した。宮内庁のクレームに対して、十分な説明もなく広告の掲載を拒否した背景には、広告主への配慮もあり、広告主に対するタブーの存在も指摘。そのほか、改憲論議で、表現の自由をしかねないような文言が、密かに盛り込まれようとしている点を指摘していた。

さて、3氏の報告のどれも勉強になったが、この日一番の衝撃発言は会場からの質問。『プリンセス・マサコ』の出版元第三書館の方から、清水氏の発言に対する捕捉説明があった。新聞社の広告掲載拒否の経緯などを述べた後、新聞が広告を出してくれないので、週刊誌で広告を出そうとしたが、実はそれも掲載拒否されたということを明かされた。しかも、この日、出席している出版社から刊行されて週刊誌についても掲載を拒否されたそう。そのような窮状を説明し、どの社でも良いので、ここで広告掲載を約束してくれないか、と迫ったが反応なし。肩すかしをくらったような感じで会は終了。少々後味の悪い幕切れになった。

その後の懇親会には、所用があり出席できなかった。デリケートな話なので、あるいは場所を移して、話があったのかもしれないが、やはりちょっと釈然としないというのが正直な感想だ。


07/6/6

ICタグって本当に役に立つの?

カテゴリー: - okano @ 23:12:27

少し前、ある勉強会での話の中で、出版界でも導入が検討されているICタグの現状について聞く機会がありました。

ICタグは、SuicaやPasmoのようなもので、本に装着して主に流通面での合理化を促進しようという趣旨で、経済産業省の後押しなどもあり、出版界では実証実験を続けております。このICタグがすべての書籍に装着されると、たとえば書店に送られてきた書籍を梱包をとくことなく検品したり、SuicaやPasmoを改札機に読み取らせるのと同じような要領で、店頭在庫をチェックでき、たな卸しなどに利用できると言われています。

プライバシーなどの問題もあるようですが、ICタグの値段さえ安くなり、すべての書籍に装着されれば、出版流通は革命的に合理化される、というのが私も含めた出版界の多くの人たちの認識だと思います。事実、勉強会の講師も同様のことを話されました。

しかし、この勉強会の少し前、電機メーカーに勤める友人から気になることを聞きました。今は管理職で、部署もICタグの部門ではないそうですが、もともと通信機器のエンジニアで、出版界のICタグのことについて社内で知る立場にあり、たまたま大手倉庫会社でやった実証実験も見学したことがあるそうです。 基本的な技術についてよくわかっていている彼が、出版界のICタグについて、検品や棚卸しの合理化など出版界が期待していることは、言われているほど簡単ではないと言うのです。なぜかと言うと、ICタグには電波を受信し、発信するアンテナがついているそうですが、そのアンテナ同士があまり近くに接近していると混線し上手く作動しないからだそうです。ですから梱包された中身を、ICタグを使って正確に識別するのは難しいと言っておりました。実証実験では人為的に電波がキャッチしやすいようにしていたようです。部署が違うので、断定はしておりませんでしたが、彼の口ぶりでは、一朝一夕では解決できないような問題のように感じました。このようなことを聞いていましたので、講師にこの件を質問しました。 しかし、講師は多少の問題はあっても、技術革新は早いので問題はないだろうとのことでした。私自身、資料などありませんでしたし、雑談の中での話だったのでそれ以上質問できる内容は持ち合わせておりませんでした。

ただ、講師の方は、問題ないと断言しておりましたが、私はどうも腑に落ちない点がありました。一つは、技術革新は早いと言われていますが、厳密に見てみると、革命的な技術革新はそれほど起こっていないように思います。私自身、以前別の業界で、日本の製造現場を見てきましたが、大きな技術革新というものに立ち会った経験がありませんでした。私がいた業界がそのような業界だったのかもしれませんが、基本的な技術が大きく変わるということは、どの業界でもあまりないように思います。たとえば、私が子供だった1960年代から、次の高速鉄道はリニアモーターカーになると言われてきました。21世紀になったら当然、新幹線はリニアモーターカーに代わっているだろうと子供心に思っておりました。ところが、21世紀になっても実用化はされていません。燃料電池車などもきっと同じだろうと思います。急速な技術革新と感じられるものは実は、小さな改良改善の積み重ねが多いのです。電波の混線の問題は、小さな改良改善の積み重ねで解決できるようなレベルの問題なのでしょうか。

もう一つは、実験室で行えたことが、様々な特殊な条件が重なる実際の実用段階レベルの段階で上手く機能するかという点です。実証実験は、専門家から見ると、電波の混線が起こらないような人為的状況を作って行われていたようです。ダンボール箱に入っていて、外から見えない状態で本に装着されているICタグが、混線しないように適当な距離を保ちながら梱包されているという状況は考えにくいように思います。

このように書いてまいりましたが、これはあくまで私の推測です。ICタグの現状について、何が事実であるかを判断する材料を私はこれ以上持ち合わせておりません。どなたか有力な情報をお持ちの方は、是非、お聞かせいただきたいものだと思います。

経済産業省がお金を出してくれるから、適当に実証実験をやってみよう、ではあまり芸がないように思います。ICタグで何ができて何ができないか、ということを正確に把握し、出版流通の改善のためには、どのような利用方法があるのかを真摯に考えなければ、いくらICタグの研究を進めても意味あるものにはならないように思います。


07/5/24

出版社と読者

カテゴリー: - okano @ 16:19:30

書店と読者の関係はいろいろでしょうが、小さな書店では、このコラムで兼業社長さんが投稿し書かれているように、書店の方と読者は顔の見える関係のようです。小さな書店の主は、そこに来るお客さんがどんな本が好きで、どのくらいの金額の本までなら買ってくれるかというようなことを把握しているようです。

実は、学術系の小さな出版社でも、読者と顔の見える関係を作っております。私の会社の場合、年間30回くらいの学会で図書の展示販売を行っております。これは、販売が目的ではなく(販売額もたかが知れています)、読者がどのような傾向の本を求めているか、今の学問のトレンドはどのようものか、というようなことえお調べるいわばマーケティング調査のようなものです。

毎年学会へ行っていると、それこそ顔なじみの方がたくさんできます。また、著者が読者になり、逆に学会のたびに買ってくれている読者が著者になるなんてことも日常茶飯事です。ただ、いくら顔なじみになっても、出版社の人間が学会で、読者である研究者にめぐりあうのは、概ね年に1回です。織姫と彦星の年1回の逢瀬ではないですが、そんな非日常の関係なのです。専門書の読者である研究者の日常は、ご自分が所属する大学の生協書籍部であるとか、比較的専門書を多く置いている書店さんでの図書購入だと思います。

ブックメール倶楽部をはじめてから、学会に来られる方々の日常的な図書購入をサイトを通じ、お手伝いできるようになりました。現在、学会に来られている研究者の方々にブックメール倶楽部の新刊情報のメールマガジンの登録をしていただいております。私の会社は言語学系の出版社ですので、相当な人数の言語学の研究者の方にメールマガジンをご登録いただいております。メールマガジンは嫌いでRSS配信をご希望の方も多いので、このサイトの情報を、メールマガジン、RSS,サイトへの訪問で見ている言語学の研究者は相当な数になっています。

サイトへの登録も「言語」関係の本が多いため、ブックメール倶楽部は言語系のユーザーが多いですが、その次は、文学研究の書籍の登録数が多く、最近、増加傾向にあります。そこで、先週の20日の日曜日、國學院大學で行われた「中古文学会」へ行ってまいりました。用意したチラシはあっという間になくなってしまい、メールマガジンへも多数ご登録いただきました。今後も色々な学会に顔を出してみようと思っております。


07/4/10

図書カードと不信感

カテゴリー: - 管理人 @ 14:46:31

投稿:兼業社長

I君は歴史とクルマが好きな若者だ。アルバイトはしているが、十分な小遣いがあるとはいえない。定期の雑誌も、だから奧の棚にたまってしまう。お金があるときといつでもどうぞ、というのが当店の流儀だから、奧の棚に雑誌をためるのは、なにもI君に限ったことではない。コミックとクルマのOさん、建築関係のHさん、などなど。それぞれ奧の棚の場所が決まっていて、ひとかたまりずつの場所を占めている。
そのI君が「2000円の図書カードを手に入れたのでその分だけ引き取りたい」とやってきた。閉店間際だが、もちろん大歓迎。さっそくカード用の読み取り機で引き落としを始めました。ところが、2冊目以降エラーが出て引き落としができない。しばらくがんばったが、どうにもなりそうにないことは明白だ(下図)。
1冊目は引き落とせたから残額はわかる。私は残額分の金額と引き換えにカードを預かることにして、残りの商品を精算することにした。ひとりになって改めて考えてみると、私には図書カードについての知識がほとんどないことに気がついた。
こういう場合、どうするのが正解だったのだろう。週明けの月曜日、勤務先から図書カードの発行元である日本図書普及株式会社に連絡を入れた。相談のつもりでこういう場合どうしたらよいのでしょうね、と聞くと、「基本的には利用規程に従って、使用したお客様の責任で指定の住所に送っていただくことになっている、読み取った金額分のカードをお客様に返送します」という返事。そうすると、I君に「このカードを裏に書いてある住所に送ってください」と告げて、残りの商品は渡さないというのが正解なのだろうか。でも、1回目は読めたんだから、機械のせいじゃないの、といわれれば何も言い返せない。何よりも、「使用したお客様の責任で」というところに反応してしまったのだった。 今の季節は特に、図書カードを買ってくださるのは進学や卒業のお祝いに使う地域の保護者の皆さんだ。そうすると、それを使うのは近所の小中高校生だということになる。カードを持ってきた小学生に、商品を渡さないばかりか、この住所に送ってね、なんて言えるだろうか。私は言えない。
電話口で担当者にかなり強い口調で詰問してしまった。その内容は覚えているが、思い出してもはしたないばかりなので省略する。 当たり前のことだけど、図書券ならこんなことはなかったのだ。お金のかかる読み取り機を導入する必要もなかった。額面にプレミアがつかない以上、お客様のためを考えて磁気カードにしたんだ、という理屈は成立しないと思う。額面以下のお買い上げのとき、お釣りを現金で支払わなくてもよいというのは書店の利益にはなるかもしれないが。
このことについては少し説明が必要かもしれない。図書券の仕入れと精算は額面の95%なのだ。図書券の販売がゼロで、すべてのお客様が他の店で買ってきた図書券で支払いをしたと仮定すると、実質の売上は5%ダウンすることになる。たとえば550円のお買い上げに500円の図書券1枚と現金50円で支払っていただいたとする。図書券は精算すると475円だから、現金50円と合わせて525円の売上ということになる。ところが、1000円の図書券に現金450円のお釣りを出したとする。1000円の図書券を精算すると950円になってしまい、450円現金を使っているのだから、500円の売上しかなかったことになってしまう。もともと粗利が20%程度なのだから、550円の売上で書店の取り分は110円、それが後者の場合では60円、50円値引きしたのと同じ事になってしまう。しかも消費者に割安感はないのだから、人知れず書店だけが損をしているような計算になる。磁気カードになって、端数はカードに記録されて残ることになり、お釣り問題で悩む必要がなくなった。
磁気カードになって一番変わったのは何かというと、高額面のカードが生まれ、オリジナルカードを作ることが可能になって、広告や記念品、景品として使われることが増えてきた、ということだ。プリペイドカードは先払いの債権だから、インフレ経済下なら実質額がどんどん減少していく。キレイなカードがコレクションとして使われずにしまい込まれれば、図書の売り上げとは関係なく図書カードの売上は伸びる。発行元は大もうけだ。結局、そのことをねらってつくられた商品なのではないのか。調べてみてわかったのだが、オリジナル図書カードの印刷代は、テレフォンカードやオレンジカードの印刷代よりかなり割高だ。それかばかりか、高額カードほど一枚当たりの単価が高い。500円のカードを300枚作ったとき、テレカやオレカは一枚当たり750円、図書カードは831円。250円と331円が印刷その他の諸費用だ。テレカやオレカは額面が変わっても諸費用の金額は変わらない。ところが、図書カードでは同じ300枚でも額面1000円では諸費用427円、5000円ではなんと730円。どんどん高くなる。なぜだ。ちなみに、クオカードも同じ料金体系である(NTTグループ螢蕁Εルトのホームページによる)。噂では、高額面のカードは使用期間が長いから、その分宣伝効果が高いため、高い印刷代を設定している、という。宣伝かよ。消費者の利便じゃないのか。まあ、噂だからこれ以上つっこみませんが。
書店にとっても消費者にとっても利益のある図書カードというのはできないのだろうか、と思う。たぶんできないだろう。可能性があるとしたら、より汎用性のあるクオカードとの合体・合流だ。プレミア分をどこが吸収するのかが問題なのだが。すでにジュンク堂、三省堂ではクオカードで買い物ができるようになった。しかし、そもそも磁気カードそのものが偽造問題で次々になくなってきており、クオカードがこのまま残るとは限らない。世間の流れではプリペイドカードそのものが、クレジットカードと一体化することによってポイント制によるプレミアをつける方向で統一されようとしているように思える。 そうすると、今度はクレジットカードでの販売に対応しなければならなくなるのだろうか。そう思うとなんだか気が重たくなる。
もっとも、I君やOさんが、クレジットカードでたまった雑誌を買いに来る姿というのを、どうしても想像することができないのだが。


07/4/1

本屋という仕事

カテゴリー: - okano @ 22:53:29

投稿:兼業社長

父母が死んで兼業で本屋を継ぐことを決心したとき、好き嫌いせずにできるだけたくさんの本を読もう、と思った。出版社に勤めるくらいだもの、もとから本は好きなのだ。

ところが、改めて店を回ってみると、読みたいような本がない。どの棚も全く魅力的でないのだ。料理と裁縫の実用書と地図、小口が焼けてしまったコミック、怪しげな健康本と経済本。どうも取次のパターン配本は私の好みとは合わないみたいだ。商品の動きから見て、地域の売れ筋にあったモノとも思えない。

毎日おびただしい種類の出版物が発行されているのは皆さんご承知のとおり。それらのうちの、どの本を何冊送ってもらうかを、書店側で決めるのは不可能に近い。そこで、立地条件や年商などをもとに、適当と思われる組み合わせを行い出荷するのを取次のパターン配本という。取次は過去の実績をもとにして、ともいうが、本当のところはどうか。版元には版元の都合があり、取次には取次の都合がある。どのようなジャンルの本がどのように動いたか、ではなくて、どの版元のものがどのくらい売れたのか、つまり年商の版元別集計が「過去の実績」ということなのではないかと疑いたくなる。

20坪程度の当店への送品などひどいものだ。例えば、上下巻ものの下巻ばかりを大量に送ってよこす。あるいは、4巻ものの2巻と3巻のみ送ってよこす。要するに、主要書店の半端物を梱包して送りつけているとしか思えないのだ。「不都合な真実」だとか「猫村さん」のように、メディア媒体で仕掛けが行われた「話題の本」というのがあるが、まあ十中八九送ってこない。実際に動いている本なら、主要書店の店を眺めていればわかる。これはという本の注文を出すのだが、売れているならまさに今流通に乗っているわけで、版元に在庫がない。忘れた頃に「品切重版未定」の(事故伝票)が送られてくるばかり。 私は愕然とした。しばらく愕然としていたが、そうしてばかりもいられないので、どうすればよいかを考えた。

まずはコミックだ。すべてのコミックの奥付を確認し、週刊誌ものなら3ヶ月、月刊誌ものなら半年を目安に古いものをはずしていった。週刊誌の連続ものは3巻を限度に並べることにし、最新刊のみ2冊、後の重複分はすべて引出などに一時留保する。逆に、アニメ化、映画化などのメディア関連作品は全巻揃うように注文を出す。

実用書、地図を3分の1にし、児童書を入れ替え、絵本を入れるようにした。ほかの本屋さんで平積みになっている本をメモして回り、しつこく注文して、文芸書、話題の本の品揃えにも努力した。死んだ父が民族主義の超右翼だったことを思い出して、日本・中国・韓国について、憲法問題、皇室問題、戦争に関する本などを、インターネットで検索してまわり、こまめに注文を出して右左両方からの意見が並ぶように棚を作った。

悩んだのが文庫、新書だ。膨大な種類の商品があるのだ。月に一度、B全の紙表裏に8ポ位の文字でビッシリと文庫・新書の新刊一覧が印刷されたものを送ってよこす。この中から選んで注文を出せば新刊の配本の可能性がある、というのだが、一目見ただけで勤労意欲をなくすシロモノだ。だいたい、スリップの報奨券を送って販売実績を作っておかないと、配本は難しいという版元だって存在する。しかも、配本された後の新刊文庫・新書は、しばらくの間入手が困難になる。

思い悩んだあげく、既読の作品で印象に残っているものを中心に品揃えしてみたが、それだけではちっとも売れない。そりゃそうだ。何がおもしろかったのかを書いて、はがき大の紙に印刷してポップを作るんだが、これを全点でやると棚がポップだらけになってしまい、収拾がつかなくなる。少しは系統性なり統一性なりがあればいいのだが、昔から手当たり次第に読み捨てる傾向のある私が好みで作る棚は、えらく発作的でまとまりのないものになってしまう。

ワンテーマ週刊誌で「司馬遼太郎」が発刊されたのを機に、司馬遼太郎を中心に、問い合わせのある平岩弓枝、宮部みゆき、浅田次郎あたりで「時代物テイスト」の棚を作ったら、思いの外商品が動くようになった。そういうところに関川夏央、山田風太郎を入れるのは、まったくもって自分の趣味だが。これで一応文庫・新書の基本が決まった。

これを、毎週土日で行った。一通り手を入れることができたかな、と思えるまでに一年かかった。新しい荷物は来るし、売れたものの補充も必要で、スリップチェックは思ったよりも時間がかかる。なによりも返品の荷物を作らなければならない。伝票を書き、段ボールに入れてひもをかける。週に一回だから、9号または10号段ボールで7,8個、多いときは10個以上ということも。返品期限が大きく過ぎないように書籍の棚をチェックし、逆送品があれば返品了解のファックスを作って送る。その間にお客様が来る、本探しの依頼がある、宅配業者が集荷に来る。客商売だもの世間話だって必要だ。気に入って仕入れた商品を、お客様が手にしたときなど、もう近くまでいって説明しないではいられない。時間も意識も分断され、思考に脈絡がなくなり、コンピュータで調べ物をしてたはずなのに、ふと気がついたらハタキとモップを持ったまま、ストーブのタンクにポンプで灯油を入れたりしている。丸一日何も食べないまま夜の11時になっていた、なんてこともよくある。

その間に、季節感をどう出すか、地域に関係する商品を探し出し並べたい、お得意様の好みにどう答えるか、などという課題に頭を悩ました。こうした課題にも、一定答えを出して実行に努力した。エクセルを使って雑誌の送品伝票を整理し、定期改正を毎週行えるようにもした。POSを導入できない当店では、手作業でやっていくしか方法がないのだ。

こうした努力の結果、確かに店の棚揃えは変わってきたと思うのだ。何より自分が読みたい本がある。お客様にお勧めしたい本もある。最近は小学生、中学生も増えてきたような気がする。売上が劇的に増えているわけではないけれど。

ただし計算外だったのは、好きだったはずの本を読む時間がとれなくなってきたということだ。土曜の夜中、へとへとに疲れてペコペコにおなかをすかせて、それでも読書の時間を確保しようと本を持ってファミリーレストランに行くのだが、たいていは食事が終わると座ったままの姿勢で寝てしまう。閉店間際に起こされたとき、両手で文庫本を開いたままだったりすると、なんて因果な仕事に手を染めてしまったのか、としみじみ思う。


07/3/26

街の本屋とは何か

カテゴリー: - okano @ 13:05:07

投稿:兼業社長

ブックメール倶楽部代表の岡野秀夫さんがお書きになった文章「街の本屋さんが消えてしまう」(2007年3月1日)を読んで、死んだ両親が残した小さな書店と、それを守る私たち姉弟のことをいわれているような気分になり、我慢できずに長めのレスを書き送った。おもしろがってくださった岡野さんが、何か書かないか、と返事をくださったのを幸い、気になることを作文にまとめてみることにした。今の生活が一般的とはとうてい言えない状況なので、もしかすると共感しづらい愚痴になってしまうことを心配している。

 日本に書店は20000店くらいあると言われてきた。それが毎年1000店くらいずつ潰れてきて、今や10000店くらいになっているらしい。らしいというのは、どのような小売業形態を書店というのかによって集計数が変わるからで、雑誌を扱うスーパーやパン屋さんをカウントするなら、もっと数は増えるだろう。日書連(日本書籍商業組合連合会)の傘下組合員は、ピーク時である1986年の12953店の、約半数(2006年4月現在6683店)。20年で6000店以上が消えていった勘定になる。日書連加盟書店が書店全体の7割とすれば、書店総数は10000店となり、以上の話と符合する。潰れるのは小さな書店で、大型書店の新規開店は続いているから、売場面積合計はそれほどの変化はない。

出版物の推定販売額は1996年の2兆6570億から次第に減少、現在は2兆円をようやく超える程度だ。平成15年7月の経済産業省「出版産業の現状と課題」によれば、出版の売上総額のうち書店流通は2000年で65%だから、今や50%と仮定して10000店で分ければ1店あたりは1億円ということになる。ところが、書店売場総面積は3,681,311屐雰从兒唆半2002年)だから、1店あたりの平均売場面積は368屐△弔泙110坪で一億円なのだ。「街の本屋」の定義はいろいろあるだろうが、ここでは家族中心に運営している、当店のような20〜30坪のこぢんまりとした書店としたい。坪数で割れば年2000〜2500万がその売上ということになる。本屋の粗利は2割だから、手元に残るのは年に400〜500万。持ち家で家賃の心配がないとしても、食っていくのに精一杯で、だったら店を人に貸して家賃収入を期待するほうが、よっぽど健全な考え方だといえまいか。かくいう当店の昨年売上は1500万円。悲しいことに平均から算出した数字にも達していない。当然赤字で、不足分は店と一緒に引き継いだ資産と自分の給料からまかなっている。

全体の売上が伸びなければ救いも何もあったものではないのだ。ところがここ数年の傾向として、売上好評本の多くが新書や文庫のような低価格商品であり、1点当たりの商品定価は下がっている。それなら正味の見直しの機運があるかというとそれもない。欲しい商品は配本されず、客注があっても品切重版未定、それで何をどう売ればいいというのか。

以上は定価問題、正味問題、流通問題として整理できると思う。これらは今改めて出てきた問題ではないし、「街の書店」をとりまく状況が厳しくなり始めた20年くらい前から繰り返し提起され、版元、流通、書店のそれぞれの立場で継続して議論をしてきた内容のはずだ。誰もが真剣に取り組んでいるのに、全く改善されないのはなぜなのか。つくづく思うのは、この3点を含めて今出版業界が抱えている問題点というのは、解決すべき個々の課題ではなくて、もっと構造的な問題ではないかということだ。

大きな転換期を迎えているのは間違いない。平日出版社に勤めている私は、こんなにもどっぷりと当事者なのに、今何をどうしたらいいのかがよくわからない。出版の現場でも、書店の現場でも。だから、体を張って確かめてみよう、と思ったのだ。

街の本屋は必要とされていないのだろうか。私はそうではないと思う。消費者の利益だけを優先させるなら、再販制を維持する必要などないはずだ。売れるとわかっている本だけを、調理パンや総菜弁当のように大量生産して安く売ればよい。しかしそうなったとき、思想信条、出版表現の自由はいったいどこへ行ってしまうのか。

いしいひさいちさんの「ホン!」(徳間書店、2006年08月)には、作家のヒロオカセンセと猫顔のお手伝いさんが、閉店挨拶の張り紙のある書店の前を通りかかる場面が出てくる。また本屋さんがつぶれてしまいましたね。ウム。これからどうなるでしょうね。どうなるのかな。私が思うに100円ショップかコンビになると思いますねたぶん。バカモン!出版文化がどうなるのかなといってるんだ。それはやっぱり100円ショップみたいになるかコンビニみたいになるかだわにゃ(p.28、35)。

再販制を維持するためには、本を売るという仕事を愛し、誇りを持つ人たちが必要なのだ。それは、まさしく店をたたもうとしている「街の本屋」たちではなかったか。利益優先で開店してみたり転廃業してみたりするようなチェーン店に、文化財としての本の価値などわかるはずがない。どのような出版物も、データとして平準化してしまうインターネット書店もしかり、真夜中の防犯対策として立ち読みできる雑誌コーナーを作っているというコンビニエンスストアもしかり。

 地代の安い郊外に、駐車場付きの大型チェーン店ができる。または、駅の施設を利用して、鉄道会社が自前のチェーン店を展開する。地域にへばりつくように店を開いていた小書店がつぶれる。やがて決算の時期が来て(チェーン店の新規開店では、三〜五年延勘定という条件で棚を作る。だから三〜五年後に本当の決算がくる)、業績が思わしくなければ転廃業だ。かくて、住宅地から歩いていける距離に書店のない地域が、東京近郊でも発生することになる。自転車操業的に新規開店を繰り返すことによって収益の悪化を防ぐようなやり方はいずれ破綻するに決まっているし、もともと薄利の商売なのだから、アルバイトやパートで店を運営していくしかなくなる。そこでは、マニュアル通りの商売しか成立しないだろうし、結果的に百円ショップのような店になる可能性が大きいのではないか。

一人で店の棚を管理するには20坪が限界だという。これは、「トーハン書店経営統計」から算出した従業員一人あたり受け持ち坪数約16坪とも符合する(資料は2005年のもの)。年中無休で外商ありの夫婦二人で20坪。同資料によると、黒字経営営業所の坪当たり売上は月に15万だから、20坪なら300万、年に3600万ということになる。粗利益率が22%程度だから、792万円、このうち8割を人件費とするなら、夫婦二人または家族で633万。おそらくこれが実現可能で希望のもてる「街の本屋」のモデルになるのだと思う。

街作りには個人商店が必要だ。再販制には「街の書店」が必要だ。学校と家庭と地域の三位一体で子どもたちを育てよう、というのが今の教育改革の骨子ではなかったか。地域とは、コンビニエンスストアやチェーン店のパートさんのことではあるまい。地域に根を下ろした商店の、おじさんやおばさんなのではないか。たまたま本屋の息子に生まれた私は、こうして「街の本屋」生き残りをめざすことにしたのだ。


07/3/1

街の本屋さんが消えてしまう

カテゴリー: - okano @ 11:29:25

日書連刊行の全国小売書店経営実態調査報告書
『 別冊 書店経営者の生の声』を読んで

                             ブックメール倶楽部代表
                                   岡野秀夫

皆さんの住んでいる街に本屋さんはありますか? ここ10数年の間に、街の本屋さんがどんどん廃業しています。どうもこの傾向は、今後、加速度的に進むようです。日本書店商業組合連合会(日書連)という、中小零細のいわゆる街の本屋さんが主に集まって作っている本屋さんの連合会があります。この連合会が最近出した興味深く、ショッキングな報告書があるのでご紹介いたします。

日書連の加盟店数は、ピークの1986年の13,000店弱から、昨年7000店を割り込み約6,700店と、20年間で半減しました。しかし、今後は、もっと急速に減少が進むと思われます。この報告書は全国2028店の書店からの回答だそうでが、一番衝撃的だったのは、報告書に回答した経営者の年齢です。60代が30.8%、70代以上が21.8%で、過半数が60歳以上の高齢者です。50代が29.9%ですので、50代以上をみても80%以上ということになります。ちなみに、20代は0.5%、30代、2.7%、40代が12.5%です。

現在の書店業界は、農業などと同じで、高齢者によって支えられているということになります。おそらく、あと10年するかしないかの間に、現在の加盟数も約半分になると思われます。何故なら、農業や他の零細小売業と同じで後継者がいないからです。

報告書を少々引用します。
・「当店も全盛期を100とすると20〜25ぐらいでしょうか。小生55歳、妻とパートさん計3名でやっています。私が父から店を継いだ時は、父と私の2世帯でも書店の売り上げでやってこられたのですが、これからは無理。子供は別の仕事につくことになりそうです。」(福島 駅・駅ビル 21〜40坪)
・「現在店を営業されている経営者は、自分の代で終わりにしようと思っているでしょう。子供に継いでもらいたいと思っている人は少ないと思います。しかし10年前はそんなことはなかったと思います。小さな店でも十分営業が出来る売上げもあった。大きな変化の10年でした。」(埼玉 住宅地 21〜40坪)
・「当店では後継を望む大学4年の息子に、親として責任が負えない事と出版界の夢なき事を諭して他の仕事につくようにさせた。あと数年で廃業するつもりです」(神奈川県 商店街 41〜100坪)
・「小規模零細書店の生きる(継続する)道はないと思います。ほとんどの店は自分の代で終わるのではないでしょうか。(中略)しかし、自分がやっている間は楽しくやるべきです。(中略)本屋は本当にいい職業です」(東京 駅ビル・駅前 21〜40坪)
・「子供の急激な減少で、家族だけの経営になってしまいました。以前は3人雇用しておりました。人口が8000人の小さな町です。(中略)夫婦でいつ店を閉じようかと思案しております。当店が閉店すると、本の配達をしている店はなくなります。」(愛媛 商店街 11〜20坪)

この報告書別冊には、タイトルの通り小規模書店の「生の声」が書かれています。それは、 取次(出版販売会社=商社)や出版社への怒りや憤りであったり、諦めであったり、現状を何とかしようとという希望であったりと色々ですが、上記に紹介したような声からは、「本屋が好きだ。でも、外部状況の悪化から、もう、矢折れ、刀つきた。同じ苦労を自分の子供にはさせたくない」というような率直な思いが伝わってきました。経営者の年齢という客観的なデータと書かれてあるテキストから、私は小規模書店の経営者からこのようなメッセージを読み取りました。そして、このようなメッセージが一番伝わった簡素な声がありましたので、ご紹介します。

「嫁いでより60年、殆ど休むことなく営業させて頂きました。悲しくて閉店出来ません。感謝をこめて「ありがとうございました」を丁寧に言い続けて居ります。ご質問の答えになりません。おゆるし下さい」(大阪 商店街 11〜20坪)

好きな仕事が続けられない。子供の代に引き継げないということがどうして起こったのか。その分析も大事だと思います。また、このような状況になるまで、出版界の人たちはどうして手をこまねいていたのかというような非難もあるでしょう。しかし、まずは、街の本屋さんがこのまま消えてしまったよいのかということについての皆様のご意見をお聞ききしたいと思います。

出版界は、本や雑誌の定価で販売ができる「再販制」という制度で守られています。それは文化や国民の知る権利を守る特別な産業だからという理由です。しかし、そのような保護を受けながらも、最近の外部環境の急激な変化で、(もちろん出版界の無策もあると思います)一番弱い小規模書店が次々に閉店、廃業しているのが昨今の現実です。街の小さな書店が消えても、アマゾンなどのネット書店や大手の書店チェーンがあれば大丈夫でしょうか。それともやはり困るのでしょうか。ご意見お待ちしております。


06/12/7

2003年3月6日 新文化

カテゴリー: - okano @ 18:05:02

出版特殊論 再考                                       岡野秀夫

出版業界の特質を考える上で、先日、株式を店頭公開した幻冬舎見城徹社長の発言が興味深い。「(出版業界は)言い訳産業だから。流通の制度が悪い、ブック・オフや図書館の貸し出しに影響される、活字離れが進んでいると。私は「言い訳の三種の神器」と呼んでいる。新聞の株価欄に載るような、衆人環視の中で一挙手一投足が、きちんとウオッチされる場所に行き、ソニーやトヨタ、電通と同じ土俵で勝負したい。」(毎日新聞ウェッブサイト 1月31日付けザ・インタビューより引用) このような意見が説得力を持ちつつあるなかで、理念先行の出版業界特殊論が浮世離れした過去の遺物のように感じられる。

一方、急成長した出版関連企業には、リクルートとか、ベネッセとか、出版業という枠にはおさまりきらない総合情報産業や総合教育産業がある。これらの企業は狭義での出版業ではなく、その関連分野に進出した(または関連分野から出版業界に参入する)ことで大きく成長した。

出版業界が他と明かに異なる点に、「日本語」の壁がある。自動車であれば、どの国でも左右のハンドルの違いくらいはあっても、同じ車を販売できる。ところが出版業界の顧客は、ほぼ日本に住む1億2千万人の日本語母語話者に限られ、市場自体が圧倒的に小さい。したがって、出版業は売上高等で他の主要産業と比べはるかに小さい。しかし、間接的な経済波及効果は大きいはずだ。その点については、あまり言及されたことがないと思う。そこで、今回、その点に着目して、出版業界特殊論を再考してみたい。

さて、いきなり小社の例で恐縮だが、小社では言語学、日本語教育などの専門書を、1,500円から4,000円くらい定価で、初版1,000部から5,000部くらいの部数で出版している。1タイトルあたりの売上げはせいぜい数100万。1,000万を越えるような本は多くない。

小社で500万円分の売上げがあがった日本語の文法の本があったとしよう。その本で展開されている文法理論をもとに、コンピュータソフト会社が、新たな日本語入力システムを開発した場合、ソフトの会社の売上げは桁違いに大きくなるはずだ。日本語入力システムは、当然、ワープロソフトなどの開発にも波及効果がある。場合によっては、100倍、1000倍、それ以上の経済波及効果も考えられる。これは別に大げさなことを言っているわけでもなく、実際、ソフト会社の研究員などは、小社の本の大変良い読者なのだ。 数年まえから大学をベンチャー企業育成のためのインキュベータにしよう、というようなことが言われているが、学術出版もまさに同様の役割を担っているのだ、しかし、いかんせんそのような認識がまだまだ世間では希薄だ。

経済波及効果があるのは学術出版に限ったことではない。ポケモンの例を出すまでもなく、日本のコミックは、ゲームソフト、トレーディングカード、映画にテレビ、はたまたキャラクタービジネスと、狭義の出版業の何倍、何十倍の利益をもたらしている。文芸書でも「リング」が映画化され、さらにアメリカでリメイクされた。出版界が自分達の業界以上の利益を関連する業界に間接的に与えている証拠はいくらでもあげられるはずだ。

にも関わらず出版界において人を育てるのには、時間と手間暇がかかる。出版社でオリジナリティのある本を編集できる編集者を育てるのも、また、魅力的な書棚を作れる書店員を育てるのもそれなりの時間がかかる。マクドナルドのようにマニュアル化することは困難だ。いわば職人的な世界で、ビッグビジネスにはなりにくい特殊な産業だ。

さて、冒頭でご紹介した見城氏のコメントには、続きがある。「ベストセラーから派生する新しいビジネスモデルを作りたい。例えば『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』の世界を通信教育、文房具、ゲームソフトなどへ広げていける。そのための資金はマーケットから調達しないといけない。」

見城氏は狭義の出版業だけでなく、キャラクタービジネスやゲームソフトビジネス等の要望な市場を持つ関連ビジネスにうってでようと考えている。裏を返すと、狭義の出版業だけでは成長に限界があるということだ。

出版業界の中には、新しい商売の種のようなものがいっぱいある。また、ポケモンの例で恐縮だが、ポケモンのコミック誌を売っている書店からブームが始まり、テレビ、ゲームと波及し、また、トレーディング・カードがヒットする。そのカードを売るのは、めぐりめぐってまた書店。私は書店でトレーディング・カードを販売することの是非を論じない。そうではなく、商売の種になるシーズが沢山あり、それを商売に結びつけことのできる人が成功しているという事実を述べているだけだ。見城氏は、そのことを非常に良く理解していると思う。狭義の出版業でみすみす逃していた利益を、自社にどうやってとり込もうかと、考えをめぐらせているのだろう。

しかし、誰もが儲けの多い関連ビジネスの方にいってしまって、狭義の出版業をおろそかにしたら、肝心の「金の卵を生むニワトリ」がいなくなってしまう。そうなっては元も子もないということになる。そういう意味で、狭義の出版業はある意味で保護されないといけない特殊な産業だと、私は思っている。

21世紀の社会は知的財産の価値が相対的に高まってきており、この傾向は年を追うごとに加速している。「知」の生産活動及び流通販売活動を行う出版業界の重要性は、高まりこそすれ低下することはありえない。我々は大前提として、そのことを正しく認識すべきだ。

図書館について言えば、建物のような箱物への予算ではなく、図書購入や有能なライブラリアンの育成、雇用などへ予算をシフトすべき、ということは以前から言われてきた。しかし、どうも我田引水の議論と受取られてしまう。「金の卵を生む出版業界」を育成すると言うことを大義名分にした方が、理解が得られやすいのではないか。戦後の日本は、基幹産業である石炭産業や鉄鋼産業に、資本を重点的に投資する傾斜生産方式で戦後復興の礎を築いた。同様の政策を「知的富の創出」に効果的な産業に行うべしと主張するのだ。

アニメ作家の育成や、海外から日本のアニメを勉強に来る人たちを援助し、日本で活躍できるように助成することも必要だろう。アニメを「現代の浮世絵」と位置づけ、その価値を高める努力を官民あげてするべきだ。アニメのハリウッドを目指すことを、本気で考える自治体が出てこないのが私には不思議である。全国の工業団地に閑古鳥が鳴いているという現状を見れば、アニメのハリウッド構想の方が、はるかに投資効率が良いと思う。

もう一つ重要なのは、現在、インターネットの普及もあり、世界的に英語の情報発信量が圧倒的に多くなっている点だ。学術分野においても、英語偏重の傾向は年々助長されているように思う。かく言う小社においても、英文でかかれた専門書の割合が全出版物の15%にも及んでいる。日本語より英語で出版したという研究者が増えているのだ。

日本語による出版物の質の向上、あるいは読者を増やすということは、日本の出版界だけの問題ではなく、日本全体にとっての問題でもある。英語による情報発信が増えつづけると、産業の空洞化ならね言語の空洞化がおきかねない。私は何も英語支配を排斥しようという偏狭なナショナリズムを唱えているのではない。日本語による情報発信は、意図的に増やさないといけない段階になっていると言いたいのだ。

そして、これは出版業界だけで解決できるような問題ではないのである。民間だけに任せておける問題ではない。現在、日本は戦後最大の経済危機を迎えている。戦後の傾斜生産方式に習い、「知的富」創出のための戦略産業を定め、それらの産業に対する重点的な育成策を打ち出すべきだ。出版業界はそのような戦略産業に入ると思う。しかも、非常に少ない投資で、大きなリターンが見込める貴重な分野だ。そのことを出版界にいる我々自身がまず認識すべきなのだ。

我々このようなことを理論武装し、世間の人達に理解してもらう必要がある。その際、一番まずいことは、出版界の主張が、既得権益を守るための運動と受け取られることだ。そのようなことにならないためにも、出版業界の非合理的な商慣習を改め、経済合理性のある業界に生まれ変わらなくてはならないと思う。「改めるべきは改め、主張すべきは主張する」という態度が必要だ。何故なら、我々の業界の未来は明るいのだから。


2002年10月16日 新文化

カテゴリー: - okano @ 17:59:41

正味問題と新刊配本、委託制度問題

                    くろしお出版 取締役副社長 岡野 秀夫

鈴木書店倒産以降、高正味出版社に対する風当たりが強くなっている。岩波書店が一部書籍の取次各社に対する正味の引下げを発表したが、高正味出版社はもっと正味を下げるべきだという声をよく聞く。

出版界が低迷していることは各種統計数字が示すとおりだ。苦境打開のために何らかの対策が必要なことも明白だ。しかし、それにはまず、現在の出版界の問題点をきっちりと把握することから始めなくてはならない。ムードに流されると、得るものより失うものの方が多くなる場合がある。そのような危機感から、今回、筆を取らせてもらった。小社では新刊配本、委託を一切行っていない。そのような少々ユニークな出版社からの視点で、矛盾点を考え、問題提起をさせていただきたいと思う。

私自身この業界に身を投じてから丸9年。それまではあるメーカーのサラリーマンを10数年ほどやっていた。まだこの業界に関してはわからないことばかりだ。ご批判には謙虚に耳を傾けたいと思うので、多方面の方々からご意見を頂ければ幸いである。

1.高正味版元批判の問題点

さて、最近の高正味出版社に対する批判を見ていての率直な感想は、

1. 議論が情緒的である。 2. 個別の事情、状況を無視して十把ひとからげの議論になっている。 3. 出版業界の問題点の解決という点が見えてこない。 という3点に、まとめられると思う。

今回の議論は鈴木書店の倒産に端を発したもので、高正味出版社の自己本位的な姿勢が倒産の原因だとする論調が多い。しかし、はたしてそうとばかり言えるのだろうか?

企業が倒産に至るには一般的には2つの要因しかない。1つは外部環境の急速な悪化。もう一つは経営の失敗である。その2つが複合的に起こることもある。私は鈴木書店の倒産について、コメントする立場のものではない。しかし、常識的に考えても、デフレの進行、金融機関の財務体質悪化など日本経済全体の問題、それに少子化による若年人口の減少、インターネットなど他のメディアの普及等、出版界特有の外部環境の悪化もあった。経営問題についてはわからないが、高正味が唯一の問題であったかのような総括の仕方には違和感がある。 さて、2番目の議論が十把ひとからげ的になっている点だ。これは出版物の流通には書籍と雑誌という2つ区分しかなく、すべての書籍が基本的には同じように流通しているという現状に起因すると思われる。一概に書籍と言っても様々な種類のものがある。しかし、それらをおしなべて同じように流通、販売させてきた出版界の風土が、正味という一番大切な問題においても、個別的な事情を省みない議論を生む原因になった。

芸能人の離婚話を扱った本と、10年、20年かけて改定された大辞典のように全く異なる種類の書籍を、同じ流通のやり方で取り扱うことがおかしい。誤解していただきたくないのは、両者のどちらに価値があるかということを論じているのではない。全く異質の商品となのだ。それなら、それぞれの商品をその特性に合わせ、販売していくほうがよほど販売促進につながると思うし、議論も別々に行ったほうが生産的である。

個別的な議論をするため、正味に直接関係があると価格について見てみよう。現在流通している書籍の平均単価は1200円という。出版社から取次出し正味を68とすると、取次、書店あわせた取分(流通マージン額)は、384円ということになる。正味問題を語るときにマージン率ばかり注目されるが、もう一つ考慮すべきはマージン額だ。

版型、つか、重さ、返品率、回転率など、その他すべての条件が同一と仮定する。1200円の本と2000円の本があった場合、同じ68の正味価格であれば、前者のマージン額は384円、後者は640円ということになる。逆に考えると、1200円の本を正味68つまり384円の流通マージンで流通させることが適正ならば、全く同じ条件の本であれば、2000円の本では80.8の正味でいいということになる。

もちろんこれは理論的上の話。実際には書店や取次においての流通時、様々な面でのロス(たとえば万引きであるとか)が生じるだろう。在庫負担金利や保険もある。金額の高い本はリスクも高い。したがってマージン額だけで正味問題を判断することも間違いだ。

これを裏返すと、「すべて高正味版元が悪い。正味を下げるべし」というマージン率至上主義的議論がいかに乱暴なものであるかわかるだろう。

正味の問題を考える上で、定量化できるような要素だけでも、書籍の平均価格、1冊当たりの重さ、返品率、書店における回転率など様々考えられる。このような数字を示して、議論するならまだわかりやすい。正味は、上記の数字などとその他諸条件を勘案して、版元と取次が個別的に交渉するのが本来の姿だ。

正味についての基本的なモデルみたいなものを、平均単価、回転率、返品率などをもとに割り出すのも一案。具体性に欠ける議論を何時までやっていても何も変わらないと思う。

このようなモデルでは、返品率を減らしたり、回転率をよくすると正味が上がり、反対だと正味が下がる。経営努力をすれば得をし、怠れば損をする。このようなメカニズムが働けば業界は確実によくなる。そして、このようなメカニズムを働かせるためには、正味交渉を回避するのではなく、日常的に行っていくことが大切だ。

ある大手取次の方のお話だと、版元との正味交渉はタブーというような雰囲気が取次にはあると言う。普通、他業界では価格交渉は日常の出来事だ。前の会社で私は毎日のように価格交渉をしてきた。エンドユーザー、特約店、代理店それぞれの段階の顧客や、社内的には工場などを相手にした価格交渉の連続だった。

「正味交渉はタブー」というような柔軟性のなさこそ問題なのだ。問題は「高正味」そのものではないはずだ。既得権の「高正味」にアグラをかいて、いい本も出さず、書店での回転率も悪く、返品も多いというような出版社があれば、その出版社自体の問題なのだ。高正味であっても、最終的に書店や取次に利益をもたらしている出版社もあるはず。「高正味」=「悪」ではないと私は思う。

そのような立場から言うと、本誌で報道された「今回の正味引下げが最後。後は交渉の余地ナシ」という岩波書店の姿勢は疑問だ。もっとフランクにやるべきである。素晴らしい本をたくさん出している業界のリーディングカンパニーだけに残念だ。このようなやり方では、書店さんなどに、高正味出版社は自分達の既得権を守るためにわずかな正味の引下げだけでお茶を濁した、というような悪い印象だけが残るだろう。

「正味交渉解禁」ということは、何も出版社の側が正味を引き下げるばかりではない。場合によっては、出版社の方が正味を引き上げる要求を出してもいい。むしろ、そのようなことになったほうが健全だ。

高正味出版社の正味を一律下げるべきという議論は、新興出版社でいい経営をしているところの正味引き上げの機会も奪ってしまう。現在、低い正味の取引を余儀なくされている出版社の中にも、平均単価が出版社平均の何倍もあり、返品率もきわめて少ない、新刊配本数も少なく、客注が中心というという会社も多いはず。そのような出版社は、むしろ正味を上げるべきなのだ。たとえば、5000円の書籍の客注を受けたとき、70の正味でも流通経費は1500円。顧客に直接宅配便で送ったほうが安い。需要のある専門書を高額で販売している優良出版社を低正味で放置したら、いずれ彼らは現在の書籍流通の枠外へ出ていってしまうだろう。

新興出版社が差別的な取引条件を強いられているのは事実だし、是正すべき問題だ。しかし、高正味問題に見られるような情緒的かつ十把ひとからげ的な主張は、差別的な取引条件を撤廃するためにかえって妨げになると私は考えている。

現在の書籍流通は、取次大手2社による寡占体制だ。大手出版社ならともかく、中小出版社にとって、力の差は歴然。このような寡占状況において、大手取次が強い立場を利用して権力を行使するのは、商道徳においても、法律上も明らかにルール違反だ。ただ、私の印象では、大手2社はそのことを十分わきまえており、自制ある行動を取っていると思う。また、大手2社には優れた人材も多い。取次との関係も対立的にとらえるのではなく、彼らの知恵も借り、協力して出版界を盛り上げていくべきだと思っている。

しかし、いずれにしろ大手2社の寡占体制というのがいびつな状況なのにかわりない。やはり、新規参入が不可欠だ。新規参入のない業界は確実に滅んでいく。もちろん、時と場合によるだろろうが、我々が一番やってはいけないことは新規参入者の参入を妨げること。これは出版社もしかり、書店もしかりである。新規参入があり、切磋琢磨することではじめて業界も輝きを取り戻すのではないか。

3番目として、高正味出版社批判には、出版業界の問題点の解決という点が見えてこないと指摘した。高正味出版社が.正味を下げたからと言って、それが現在の書店や取次における問題点の解決に確実につながり、業界全体が良くなるのか? その道筋がまるで示されていないように思う。そこで私なりの解決策を考えてみた。この提言を実行したら出版界にとってかなりの荒療治になるかもしれない。しかし、この荒療治を実行したら、必ずや出版界は再生すると私は考える。

2.新刊配本、委託制度廃止論

現在、出版界を良くするにはまず返品率を下げることだ、という意見がよく聞かれる。しかし、そのための具体的な方策を提示している人は少ない。

この問題に関する私の解決策は、新刊配本、委託制度の廃止である。そんな出来もしないことを言うなとおっしゃる方も多いと思う。しかし、現に小社の場合、新刊配本、あるいは委託なしで営業をしており、この制度を利用しなくても、なんらの不自由を感じていない。ここでは、小社がどのような営業をしているのかここでは述べる紙面の余裕がないので、割愛させていただくが、この提案は決して荒唐無稽なことでも実現不可能なことでもないと思っている。私の提案はこうだ。

1. 書籍を2つの大きなカテゴリーに分ける。一つは専門的で比較的高額な書籍。もう一つは、ベストセラーなど大部数を狙った価格も安い書籍。 2. 専門的な書籍の在庫リスクは、すべて出版社が持つ。買切だが返品も自由。フルリターナブルにする。その代わり高正味。 3. 大部数を狙った書籍に関しては、まず、新刊見本を数十部から数百部作り、取次が新刊見本を持って、書店を回り注文を受付ける。このカテゴリーの本は買切で返品一切なし。その代わり低正味。たとえば10万部以上の注文であれば、5掛け以下での取次搬入などという可能性もありえる。

さて、まず1.であるが、高正味版元批判の問題点の中で、種類の違う書籍を同じ販売方法で流通させることの無理を指摘した。本当はもっと色々な流通方法が可能なのかも知れないが、はじめから細分化しすぎるのは混乱を招きやすい。そこで、上記のように2つのカテゴリーに区分してみた。

2.の専門的な書籍についてであるが、これらの本の販路は主に大書店、大学の生協(書店)、専門書店というようになるだろう。これらの本は正味期限が長く、棚に1年くらいおいてようやく動き出す、というような種類の本もあるはずだ。価格も高いのでデッドストックになったときの書店の負担は大変である。それなら、いっそのこと何時でも返品OKにしてしまったほうが、書店も安心である。

書店さんの不満の1つは、版元によって返品OKのところと、ダメなところがあることだ。そのため、一々返品の了解を取らなくてはいけなかったりする。これは本当に無駄なことだ。返品が出来るものは何時でも返品可能、その代わり高正味。返品が出来ないものは、自分のリスクで仕入れ、その代わり利幅が大きい。このように書籍によって条件を明確にしたら、どれだけすっきりするだろう。

さて、3.の大部数を狙った書籍であるが、これは大手の書店にはもちろん中小書店でも流通する書籍である。現在の中小書店で、ベストセラーの本が入りづらいという話しをよく聞きます。これが買切、返品なしということになれば、ベストセラー本が入らないということはなくなると思う。しかも、買切りで返品ナシであれば、低正味で仕入れることが出来る。仕入れさえ上手くやれば、凄く儲かる書店が出てくるはずだ。もちろん、仕入れが下手な書店の淘汰も早いだろう。仕入れ優劣が企業の業績に反映されるということはきわめて健全なことではないだろうか。

一方、出版社にしても経営上一番不安定な要因は、いつ返ってくるか予想がつかない返品の問題です。初版をすべて買切返品なしで取ってくれるのであれば、これほど安心できる話はない。正味を大幅に下げても、出版社にとってメリットが大きいと思う。2刷以降は、発注単位によって価格を変えてもいいし、出版社と書店との取り決めでどのようにもなる。常に交渉によって取引価格が決められ、その本にあった適正な卸価格が形成されていくはずだ。

現在の返品率が高い最大の理由は、新刊配本である。その中でもとりわけ、実用書など大量に発行して、大量に配本する種類の本が返品になり、返品率を押し上げているのではないだろうか。

私の提案が通れば、返品率は劇的に改善されるはずだ。現在の40%近い返品率は、大幅に低下して、おそらく10%を割るようになると思う。そのようになった時の書店、取次、出版社の利益は計り知れないものになるはずだ。

現在のデフレ経済化において、売上の拡大は望めないのは明らかである。であれば、今やらなくてはならないことは、日産自動車においてゴーン社長がやったのと全く同じ大胆な事業の再構築である。乾いた雑巾をしぼるのとは違い、出版界の雑巾はしぼればしぼるだけ、水が出てくるはずだ。再構築をすることでこの業界は甦り、各社の財務体質も大幅に改善されると確信している。

また、買切性に移行することで、余剰在庫と不足在庫を取引する新たな書店間市場ができると思う。そこでは、現在は対立関係にある新古書店とも新しい共存の道が開かれる可能性も出てくると思う。かつての映画のロードショー館とそれ以外の映画館のような関係ができれば一番いいと思う。再版制度を維持しながら、良い意味での棲み分けができるように考えていくべきである。

3.問題の先送りだけはやめよう

最後になるが今回の本稿を書くにきっかけは、現在行われている高正味出版社批判の議論に違和感を覚えたからである。しかし、本稿を書き始めると、より議論を深めるためには、もっと根本的な問題、つまり、出版業界における新刊配本の問題、委託性の問題に切り込み、自らの意見を表明する必要があると考えた。

私の結論は新刊配本、委託性の廃止である。このようなドラスティックな改革をしたときにはじめて、出版界は今までとは違う新しい風景を見ることが出来るのだと思う。

我々はすでに小手先の改革で失敗した業界をこの10年間の間に数多く見てきた。護送船団方式から中々脱却できなかった銀行などはその典型だ。彼らの失敗に共通するキーワードは、「問題の先送り」である。そして、「問題の先送り」は、「問題の本質」を見落としたところからはじまる。

出版界は自己改革出来ると思うし、しなければならないと考えている。それだけの人材は揃っているはずだ。私の提案はねれたものではないし、間違っている点も多いと思う。また、十分意を尽くして議論をするにはまだまだ紙面がとても足りない。しかし、本稿がきっかけで「問題の本質」が何であるかという議論がはじまれば良いと思っている。

「問題の本質」についての議論が起こり、何が問題かがはっきりしたら、直ちに抜本的な改革をすべきである。「問題の先送り」だけはしてはならない。


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